レールでつながる高知との出会い
東京都出身・40代半ばまで東京でサラリーマンをしていた越智史雄さん。「50歳になる前に、地方で気持ちに余裕のある暮らしがしたい」と計画を立てていたところ、高知県のこうちアグリスクールを雑誌で発見。こうちアグリスクールは、東京での座学セミナー。その後、農業体験合宿で高知を訪れた後、高知県立農業担い手育成センターでの長期研修に参加することを決めました。
就農希望者長期研修は2013年11月~7月の9ヶ月。その後の農家研修(実習)はキュウリとショウガで有名な高知市春野町にあるキュウリ農家さんで1年間。そして、晴れて2015年秋からハウス栽培にてキュウリの生産を始め、農家として独立。2017年秋に3年目の作を迎えます。
「休日が明けると気分が落ち込むようなサラリーマン生活にはだんだん魅力を感じなくなっていた。そろそろ首都圏以外で暮らしたいと考えていた時期に、高知県の研修と出会いトントン拍子に話が進んでいった。気づいたら自分の目の前にレールがあり、それに乗っただけです。」と越智さん。しかしここに至るまで、計画的に貯金をしたり、田舎暮らしの雑誌で調べたり、身体が動く50歳までにというボーダーラインを決めたりなど、すごく計画的に行動されている印象を受けました。実はレールで舵を切っていたのは、越智さんだったのだと私は思うのです。
たくさんの終着駅を経て
現在農家3年目を迎える越智さん。しかし農家になるまでには、いくつかの課題に答えを出しながら進んできました。長期研修期間中は「本当に地方でやっていけるのか」という自問自答が続きました。今まで首都圏にしか住んだことがなかった越智さんにとって、研修施設のある「高知県立農業担い手育成センター」は少しばかり田舎すぎると感じていました。
そこで、栄えている街が近くにある地方都市部の方が自分には合っていると思い、住む場所はその点を考慮して選びました。現在は仁淀川河口近くの仕事場と高知市中心部のちょうど中間になるところで暮らしています。仕事との気持ちの切り替えができ、このスタイルが越智さんには合っているんだそう。よって「田舎暮らしと言えば古民家」というイメージではなく、住宅街のアパートを借りて住んでいます。
越智さんが育てる野菜をキュウリにしたのはある意味消去法。ナスは花粉が体質に合わない、トマトの労働量は将来的に不安、ニラは栽培作業より出荷作業に時間を要するから。いろんな野菜を実際に育ててみて、自分と相性の良いキュウリに決めました。その後春野地区に入り、師匠のおかげで栽培技術だけでなく地域とのつながりができました。
今期の1日当たりの収穫量は、冬場で110kg、春以降は130kg程度。1シーズンでは約25tの量をおおよそ1人で出荷しています(10a単位で算出)。3年目の来期は、9aの栽培面積から12a増え、21aに規模を拡大します。「春野はキュウリの産地のため、機械選果場があり環境が整っています。本当に仕事がしやすく、地域に支えていただいています。」と越智さん。
来期の栽培規模拡大は、娘さんの東京の大学進学を機に、奥さんも農業に合流という理由もあります。自分に何ができるかを考えながら、1つずつ選択して前に進んでいます。
農業を“ビジネス”にする
他にも栽培規模を拡大したのには、訳があります。「独立をして2年目までは栽培技術中心の勉強期間。3年目から利益をどうしていくか考える時期。新規にハウスを建てるのではなく、高齢化などの理由で空いたハウスをお借りして栽培する。そして、これからは売上と利益にこだわっていきたい。」と越智さんは言います。これまでは貯金を多少切り崩しながら、生計を立てていましたが、やはり農業も“ビジネス”。
今までのサラリーマン人生で、35歳まではIT技術者を、35歳以降からは管理職として組織と事業プランを組み立ててきました。データなどを基に、効率的に利益を生むための戦略を作っていくことは、どのビジネスも同じ。農家は儲からないのではなく、5年程度の長期構想をベースに年ごとのプランを練って実行すれば利益を上げていける。身体はサラリーマンより疲れるけど、自分にダイレクトに結果が返ってくることを楽しみながら仕事をしています。
また、高知県の魅力を伺うと、「高知県はすごく気に入っています。コンパクトで住みやすい。土地で言えば、以前住んでいた神奈川も海が近くにあったように、今もすぐそばに海がある。カツオの塩タタキも最高においしい。街の飲み屋に行けば、僕の言葉が違うことに気づいて周りの人が声をかけてくれて温かく迎えてくれる、そんな高知県の人達が好きです。東京から遊びに来る僕の友人たち誰もが、高知ファンになって帰っていきますよ。」と越智さん。今では、農業つながり以外の友達や地域の伝統舞踊の会の仲間など、多くの友人が出来ました。
飲み友達がハウス作業のアルバイトにきてくれたり、他の農家と人的リソースをシェアして複数の農家で数人雇用し人手を確保するなど、人のつながりと計画をマッチさせながら、自分の住みやすい暮らしを手にしている、そんな印象を持ちます。「移住で大事なことは、中に入っていく努力をするかどうか。」とも。研修も地域へ入ることも農業も、きちんと自分事として捉えて“ビジネス”をされています。
「人生は適度に計画的に。タイミングがきたら思い切って移住する。」きっとサラリーマン時代からレールはつながっています。これからのレールは自分の手で仲間や奥さんと作っていくことでしょう。まだ高知も四国の他の県も巡っていないとのことなので、奥さんと時間を見つけてゆっくり周っていただきたいものです。