八丁味噌は現代人の食生活にぴったりな味噌。

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愛知県岡崎市特産の、八丁味噌とは!?

八丁味噌とは、愛知県岡崎市八帖で作られる豆味噌の名称です。かつてこの地域は八丁村と呼ばれていたことが、八丁味噌の名の由来です。現在も昔ながらの製法が守られていて、熟成蔵の中で巨大な樽に川石を山型に積み上げ、「二夏二冬」の長期にわたり天然醸造させています。大豆に麹を直接作用させ、水をごく少量しか使わないのが特徴です。手間も時間もかかるので、大規模に生産することができません。

八丁味噌とは

八丁味噌の特徴は、名古屋名物の味噌煮込みうどんなど火を入れるレシピが多いこと。
米味噌などで作る味噌汁が、風味が飛んでしまうため、沸騰する前に火を止めるのとは対照的です。これは、八丁味噌は旨みが豊富なため、煮込んでも風味が飛びにくいためです。豆味噌は米味噌、麦味噌に比べて塩分が多めですが、八丁味噌は塩分控えめに作っています。そのため、濃厚な色合いにも関わらず、いざ食べると意外と塩味を感じません。

八丁味噌の歴史

八丁味噌を作る岡崎市八帖、旧八丁村は徳川家康が生誕した岡崎城にほど近い場所にあります。ここには二軒の味噌蔵があり、現在も変わらぬ製造を続けています。この一帯は陸路の要所である東海道と、付近に流れる一級河川、矢作川の水運がある物流の要所でした。この恵まれた立地条件をもとに豆や塩を調達し、製造したら水路で出荷していました。
二軒の蔵は東海道沿線にあったため、参勤交代の武士やや伊勢参りの参拝客にも知られることになり、やがて江戸にも出荷されることになります。八丁味噌は保存性に優れ、戦国時代には三河兵士の兵糧として重宝されていました。兵糧という側面は歴史を超えて継承され、戦前には海軍の潜水艦に積まれ、戦後も極地南極の携行食として採用されました。戦場や極地など、過酷な場所でもレーション(戦闘糧食)として活躍できるのが特徴です。

しかし戦時中の極度な物資不足のため、品質が維持できないことを理由に二社は合同で休業宣言を行いました。戦中戦後は物資不足のため、きちんと醸造をせず混ぜもので味をごまかした粗悪な味噌や醤油が乱造されました。国民が食べていくために、そして会社存続のためにはやむを得ないことでしたが、この時代から伝統的な醸造技術は衰退していきました。その中で、従業員を抱えながらも休業してまで品質を維持したことは特筆すべきことです。

八丁味噌は旨みが豊富で塩分控えめ

昔から八丁で八丁味噌を作り続け、岡崎藩御用達だった二軒の味噌蔵、カクキューとまるや八丁味噌というお店があります。現在は愛知県の名産品として、誰もが知っている味噌です。しかし米味噌や麦味噌とは一線を画す外見のためか、全国に広く普及しているとは言い難い状況が続いていました。しかし全国に沸き立つゆるキャラブームに乗り、岡崎市非公式キャラクターのオカザえもんが八丁味噌を使った冷やし中華「岡崎まぜめん」という冷やし中華が人気に火をつけたと言われています。今では、インターネット上をはじめ多くのレシピが公開されています。

かつての八丁味噌を使った料理は、味噌汁や味噌煮込みなど、温かいものがほとんどでした。しかし、岡崎まぜめんは冷やし中華ということもあり、夏でも食べやすいメニューです。前述したとおり、八丁味噌は塩分が控えめで、塩分過多な現代人にとって嬉しい食材です。控えているつもりでも、知らず知らずのうちに過剰摂取しがちな塩分。旨みが豊富な八丁味噌は満足感を与えながら塩分控えめという、現代人の食生活に合った味噌です。
これらの特徴を生かし、さらに普及が進んでいくことが期待されます。