佐治の町を守る「たにがみ農園」

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わたしたちは「梨のお医者さん」

鳥取市佐治町で3代にわたって続く「たにがみ農園」の歴史は、昭和23年、当時くわ畑だった場所に植えた15本の梨の苗からはじまります。今では「あっちの斜面も、こっちの斜面も、全部うちの梨です。」とおっしゃるほどに広がった梨園。案内してくださる3代目の雄亮さんの車に乗り込むと、あっという間に山の中へ。

左右に曲がりながら山をぐんぐん登っていくのがわかります。「こんなに高い所にあるんですか?」半信半疑で降り立つと、想像以上に急な斜面に、想像以上の数の梨の木がぎっしりと並んでいました。「斜面が急だから水はけが良くて、陽も良く当たるから木もどんどん上に伸びて、美味しい梨ができるんですよ。」2代目の正樹さんが作業の手を止めて話してくださいました。

梨の生産は、剪定・受粉・摘果など、夏場の収穫期以外にも1年中休みなく世話が必要です。中でも袋がけが2回必要な「20世紀梨」には手間がかり、足場の悪い斜面での作業はとても大変です。収穫を終えた冬は、梨の木の様子を見ながら花芽を剪定します。「一本一本3年先まで想像しながら剪定するんですよ。本来1メートルほどの枝に8つくらい実がなるところ、木の状態によっては花芽を減らして負担を軽くしてやったり…」まさに“梨のお医者さん”です。

家族のチームワークこそが「たにがみ農園」の強み

ひと昔前まで佐治町には300世帯もあったという梨農家も、今では60世帯ほどに減ってしまいました。「どこの梨農家も皆、子どもの世代に強く勧められるわけではないよ。1年中、天候や梨の生育に合わせた生活になるからね。それに、梨は袋がけとか細かい作業が多くて女性の仕事量が意外と多くて大変なんだ。」と正樹さんはおっしゃいます。

「たにがみ農園」は繁忙期には人の手も借りながら、ご家族で続けてこられました。「大変ではあるけど、その辛さを子どもたちには伝わらないようにしてきたからかなあ。」と笑う正樹さん。当然、昔は梨農家の子どもも多く、雄亮さんは中学の卒業アルバムに「友達と二人で梨農家になる!」と書き残したそうです。


しかし、実際に梨農家を継いだ友人は一人もなく……「同世代って呼べる仕事仲間はいないんですけど、頑張りますよ。」と、完全な世代交代を目前に控えた3代目の決意を語ってくれました。また、「たにがみ農園」のホームページからもご家族の暖かい雰囲気が伝わります。

それもそのはず!ロゴマークなどのかわいいイラストを描いているのは娘さんなのです。今は離れて暮らす娘さんも「たにがみ農園」を遠くからサポートしてくれているというわけです。「私が生産部長で、息子は販売部長。娘が広告部長で、妻は加工部長、ってとこかなあ?」正樹さんが「加工部長」と呼ぶ奥様は、梨をつかったお菓子の生産をご担当。梨のジャムやシフォンケーキなど、道の駅でもお土産として人気を集めています。

佐治の町・未来の子どもたちをも守っていく

佐治町は「五しの里」と呼ばれ、「梨・和紙・話・石・星」に恵まれた町です。佐治町には、農家さんなど一般の家庭に宿泊し、「五し」に触れる様々な体験ができる民泊事業があります。谷上さんのご自宅も民泊の受け入れに協力されています。「今の子どもたちの生活は土と離れすぎていて、かわいそう。これじゃ生きる力が育たないですよ。」とおっしゃる正樹さんは、民泊にやってくる小・中学生たちに、梨の袋がけ体験や、山の植物、畑の野菜に触れる機会を提供しています。

民泊事業に積極的に関わる雄亮さんは、佐治の町を案内してくださいました。自分の暮らす町の魅力を真剣に伝えていける若者が、今どれだけいるでしょうか。雄亮さんが「たにがみ農園」だけてなく、佐治町にとっても“期待の星”であることを実感しました。これからも「たにがみ農園」は梨作りだけでなく、佐治の町、そして未来の子どもたちをも守り続けていくことでしょう。

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