ホテルマンから農場経営主へ
谷井さんは、米・麦・ブロッコリー合わせて20ヘクタール以上のほ場を父親の慶二さんから受け継ぎ、二人で農業を営んでいます。今では大型のトラクターやコンバインも軽々乗りこなしますが、就農前は高松市内のホテルで働いていたそうです。「17年間勤務するうち、後輩を指導する立場になって、精神的にも体力的にも大変で。転職を考えていたところに祖母の体調が悪くなり、実家に帰ることになりました。その頃は、自分が農業をするとは思ってもみませんでしたね」と谷井さん。それでも、慶二さんの仕事の助けになれば、と2013年から農業の手伝いを始めました。
自由な働き方で生き方まで変わった
「一緒にほ場に出て、父がやっていることを目で見て覚えていきました。父は、『ああしろ、こうしろ』とは言わない人。機械の乗り方も、ざっくりとポイントだけ教えてもらいましたが、あとは自分の感覚です」。最初は稲を刈るにもうまくいかず、慶二さんとの仕上がりの差を感じたそうですが、コツをつかんで少しずつ上達。3年間の手伝いを経て一通りの仕事をこなせるようになり、2016年に本格的に就農しました。
就農して大変だったのは、夏場の暑さ。しかし、「熱中症にならないように、初めのうちは軽トラで休憩しながら作業していました。でも慣れますよ。誰かが『今日は暑いよね』と言っていても今は全然へっちゃら。35度でもまだ涼しいくらいです」と頼もしい谷井さん。
最近では作業の効率化を進めたことで、プライベートにもずいぶん余裕が生まれたそう。仕事をするときは集中して仕事をし、翌日は休みを入れるなど、メリハリのある働き方でうまく自分の時間を作っています。「会社勤めの頃は私用で休むことはできませんでしたが、今は愛犬の調子が悪いときは仕事を休んで病院に連れて行きます。自分の段取り次第で時間を自由にできるところがいいですね。せっかく始めた農業。努力して、楽できるところは楽しています」。
そんなライフスタイルが性に合うのか、ホテルに勤務していた頃の同僚からは「前より表情が生き生きしてるね」と言われるそう。「昔はピリピリしてたけど、今はそんな雰囲気がなくなった、と(笑)。人に気を使わなくていいから、楽なんでしょうね」。
「おいしい」の声が直接届く
生産した農作物は主に、販売店やレストラン、地域の人たちに販売しています。「おいしかった」という感想を直接聞けることが、なによりの楽しみ。とくに今年は「甘くてもちもちしておいしかったよ」と電話がかかってきたりLINEが入ったりと評判だったそうです。
ただ、コロナ禍で納入先のホテルや焼肉店は一時営業休止に。「納品する量は年間で決まっているので、先方は『持ってきてくれて構わないよ』と言ってくれたのですが、古いお米を置いておいても、お店も困るでしょう」と谷井さん。在庫のお米は販売店に古米として売ったそう。もちろん、販売価格は安くなります。それでも谷井さんは、「せっかくならおいしい新米を食べてもらったほうがホテルや焼肉店のお客さんも喜ぶだろうから。ホテルで働いていたから、余計にそう思うのかもしれません」と話します。
「おいしいお米を食べてほしい」。その気持ちは忘れることなく、無理はせずに自分のペースで、自然体で。「今のままを維持して、体を壊さないように1年1年を過ごしていきたいですね」とリラックスした表情で話してくれました。